遠藤ヶ滝

遠藤ヶ滝

 杉田川渓谷の遠藤ヶ滝遊歩道を登ること約30分、大岩の間から轟々と水音を轟かせながら流れ落ちる遠藤ヶ滝にたどりつく。この滝は昔、文覚上人(遠藤盛遠)が深山霊谷で滝に打たれ荒行を修めた場所といわれている。遠藤ヶ滝不動尊は山岳修行道場となり多くの修験者が訪れた。滝への途中には女人堂碑が建てられており、昔はその先に女性が足を踏み入れる事は禁じられていた。
 途中、大小四十八の滝があったので遠藤ヶ滝四十八滝ともいわれていたが、現在はその全てを確認する事はできない。遠藤ヶ滝の少し下流にある三日月の滝は扇型の見事な広がりを見せる。

三日月の滝

三日月の滝

石室

石室
 岩の内部は10m四方の室状をなし、奥に不動明王石像が安置されている。文覚上人はかつてこの石室にこもり、日夜滝に打たれる修行を続けたと伝えられる。

女人堂碑

女人堂碑
 女性は男の煩悩を乱し、修行を妨げる魔と見られ、修行の場に女性が立ち入る事を禁じた碑。後世になって、厳しい山岳修行から女性を保護するためとする説もある。

遠藤盛遠伝説

 はるか昔、承安(1170年代前半)頃の物語。
 遠藤時遠の息子に盛遠という若武者がおった。盛遠には源渡(みなもとのわたる)という親友がおり、源渡の妻は袈裟御前(けさごぜん)と呼ばれた絶世の美女であった。盛遠は渡の家を度々訪れるうちに袈裟御前をいとおしく思うようになった。ついにその想いを袈裟御前に打ち明けるが、袈裟御前は我が夫を思い、一人悩む。そして、袈裟御前は自分さえいなければという考えに陥っていき、一方の盛遠は渡さえいなければと思うようになっていった。
 ある時、袈裟御前は訪ねてきた盛遠に「夫は今夜酒に酔って高殿で寝ている。」と語りかけた。それを聞いた盛遠は自分の想いが通じたと思い込み、夜陰に紛れて寝所に忍び込み一刀の下に首を斬り落とした。ところが、よくみるとその首は夫の身代わりとなって寝ていた袈裟御前のものであった。悲しみのあまり盛遠は俗世を捨て仏門に入り、修行の道に救いを求めた。
 名を文覚と改め熊権現に誓い、那智滝で千日間の荒行を修め、山伏となって全国の霊地を巡歴した。盛遠はやがて陸奥にやってきて、杉田川を渡ろうとした時川面にカーン・マーンの梵字が浮かんだのを見て、上流に不動明王のおわす事を悟り深く渓谷に分け入りついにこの滝を見つけ、傍らの石室に篭(こも)りながら荒行を修めたところである。以来この滝は遠藤ヶ滝と呼ばれるようになった。

所在地

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