ふるさと富岡町を思いながら郡山市で繋いでいく、四季の食彩 和伊んやの味。

2021年3月11日で、東日本大震災からちょうど10年となります。
私たちが暮らすこの福島県でも数多くの命が失われ、また原発事故など未曽有の危機にさらされたことで、さまざまな不安を抱えることになりました。
決して一言では語り尽くせないような思いを、県民ひとりひとりが抱えたであろうこの10年。
ふくラボ!では、震災で大きな被害を受けた方を訪ね、そのお話とともにこれまでの月日を振り返っていきます。(編集:なな丸)

  • 更新日:2021/03/04
  • 公開日:2021/03/04
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「県内に戻る」という強い思いで移転オープン、

▲郡山市安積にある「四季の食彩 和伊んや」

「四季の食彩 和伊んや」は、郡山市安積にある和食のお店です。
いまでこそ郡山市の街並みにすっかり溶け込んでいますが、もともとお店があった場所は浜通りの富岡町。生まれも育ちも富岡町という店主の松崎達哉さんが、地元食材を使ったお料理を振る舞っていました。

震災が起きた2011年は、オープン10周年を迎えるはずのタイミング。地震による被害はひどくなかったものの、原発事故の影響でお店があった場所は当時の警戒区域に。このため、富岡町から避難することになってしまったのです。

家族と一緒に、身内がいた兵庫県神戸市へ避難した松崎さん。「働かなくては」と考えながらも、そこでは職に就きませんでした。

松崎さん「県外への移住は考えていなかったんです。その点については、私も家族も両親も同じ考えでした。県内に戻るという思いがあったからこそ、避難先の県外では仕事に就こうにも就けなかったんです」

その後、縁あって郡山市に家を構えることになり「他の仕事に就くのであればもう一度お店をやろう」と店舗も構えることにしたのだそうです。

地域性の違いに葛藤しつつも新天地で10年。

▲和伊んやを営む松崎さん(左奥)と奥様(右手前)

お店を再開して強く感じたのは、富岡町と郡山市という地域性の違い。食文化はもちろん、仕入れられる食材の違いにも悩まされたそうです。

松崎さん「富岡町には海も山もありましたから。漁師さんから海の幸を仕入れて、山に精通した方から山の幸について教わって・・・ということが当たり前にできていたんです。それがここでは難しいと分かったとき、富岡町がいかに恵まれた環境だったのかを思い知らされました」

現在では松崎さん自身が厳しいチェックを重ね、さまざまな食材を仕入れています。その姿勢には、おいしさを追求するだけではない、料理への思いがあったのです。

松崎さん「食に関わる仕事を始めてもう何十年か経ちますが、私には<自分の親や子どもに安心して食べさせられる食材を使う>というポリシーがあります。お客様の口に入る物ですから、その点は妥協せずにやってきました」

富岡町で営業してきたスタイルを崩さず、郡山市の食文化にどうマッチさせるか。葛藤を覚えながらも仕事を続けたところ、移転先の店舗も2021年で丸10年を迎えるほどになりました。常連のお客様も少なくありません。松崎さんは「縁に恵まれた」と振り返っています。

知識と技術を生かして今後も食に関わりたい。

▲和伊んや店内の様子

富岡町の店舗があった地域は、いまだに立ち入りが制限されています。そんな中、松崎さんは月に1~2回町に通っているのだそうです。
もうすぐ制限が解除される予定ですが、現在のところ富岡町に戻って営業する考えはないのだとか。

松崎さん「いまは富岡町の山や土壌を改善し、再生することに力を注ぎたい」

そう力強く話す通り、松崎さんは富岡町の地元団体と一緒になって農地再生に励んでいます。
この取り組みには2020年から関わり始めました。その原動力は「町の教育や福祉などを含めてもっとよくしていこう」との思いです。松崎さんはこれまでの経験を生かし、食にまつわる分野に深く関わっています。

松崎さん「飲食店の営業にはそれほどこだわっていないんです。今後はいままで培ってきた知識や技術を生かしながら、より多くの方に安心安全な食を楽しんでいただきたいです」

編集後記

ふくラボ!クチコミでも人気の「和伊んや」。看板が大きくて目を引くお店です。

松崎さんのお話をうかがって感じたのは「きっと食に関わる仕事が好きなんだろうな」ということ。これからも長年の経験を生かした知識や技術をもって、安全安心でおいしい物を食べさせてくれるのだろうと確信しています!

食、農業、土壌など、ふるさとのこれからについて考えている松崎さん。その真剣な姿は、富岡町復興への希望が感じられるものでした。

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